2011年8月25日木曜日

鬱な気分

気候が不安定な季節ですね。
いかがおすごしでしょうか?
最近、鬱という言葉が頻繁につかわれていますよね。
厳密には、鬱病と鬱状態は違います。
本人に鬱かも?という自覚があった場合には鬱状態といえます。
その場合の打開策として、作家の五木寛之は、このようにのべています。
うつな気分き悩む若い世代は「歓びノート」中年世代には「悲しみノート」年配には「あんがとノート」を書くと鬱な気分から脱却できるとのべています。
例えば、「歓びノート」とは、1日一回必ずうれしかったことを何でも良いから書くといったもので、「今日は電車ですわれた」とか、「美味しい物をたべられた」など些細な事をかくのです。
今日はどうしてもみつからないと思った時でも、探すのだそうです。それでも見つからない場合には、「今日も無事に過ごせました」とかけばいいのです。
そして必ず最後には「~うれしかった」としめくくるのです。
「悲しみノート」は、「突然の雨にみまわれて悲しかった」などと書きます。「あんがとノート」は、日々のなかでの感謝の出来事を記入します。
最後には「~できてありがとう」としめくくります。
これを毎日続けると自然とやり気がわいてくると言います。

人間は、四つの段階をへて成長していき、子供から少年期は「驚く」やがて「喜ぶ」時代がきて、ある時期から「悲しむ」ことの大切さに気付き、最後は「ありがとう」という時期がきます。
人間の様々な成長過程において、重要なことだと思います。
この四つの段階の境目に鬱気分におちいることが多いのです。
ですので、みなさんも気分が落ち込んでるなーと思ったら、ぜひノートを作ってください。


      
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2011年8月20日土曜日

お経の力

日本には、たくさんのお経が存在いたします。皆様は普段あまりなじみがないかと思います。法事などで聞くくらいでしょうか?
例えば、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」などは一度は聞いた事があるかと思います。宗派によって唱えるお経が異なります。
基本的に「南無阿弥陀仏」は静的で、「南無妙法蓮華経」は動的です。
一日の朝には、「南無妙法蓮華経」を唱え、夜には「南無阿弥陀仏」を唱えると体のリズムが整います。
「南無妙法蓮華経」は法華経ですが、この言葉には不思議な力があります。
そもそも、法華経とは、自力本願の教えです。自分の足で歩いて、自分の手で触れて、みて、味わって、聞いて、自分の五官を網羅して一つ一つを心にとどめ、とどめたことを一つ一つ自分自身で考える、これが自力本願です。
生きる上での最も重要なポイントになります。
現世を穏やかに生きていくのはとても難しいですよね。いろんな感情が渦巻くこの現世は、自分自身が強くなって生きなくてはいけません。まさに修行の連続です。
日蓮上人は、「極楽で百年修行するよりは、この娑婆世界にあって一日修行することのほうがずっとためになる」とおっしゃいました。
極楽のような場所でいくら修行をしても、苦にならないので、生きにくいこの世の中で修行するほうがずっと自分の為になるということです。
大切なのは、この世の中で、生きるための極意をどのようにしてみつけるか。生きる上で一番重要なのは、心が柔軟で素直な人。心が柔らかく、おだやかで質素でまっすぐで頑固でない。海綿体のようにすべてから養分を吸収し、自分を肥やすことができる。
そんな人間になる為に、日々努力が必要なのです。
その助けとなるのが法華経です。確かに法華経は長くて難しい言い回しのものがたくさんあります。
「南無妙法蓮華経」というこの6文字には全てが込められています。
この短い文章を心身込めて唱えてください。それだけで必ず道が開けます。必ず言葉に出して唱えてくださいね。
言霊になって強いパワーを発揮いたします。迷ったとき、苦しいときなどぜひ試してみてください。


         
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2011年8月6日土曜日

お盆

夏真っ盛りになってまいりましたね。
皆様はいかがお過ごしでしょうか?
8月はお盆休みというのがありますが、お盆とは正式には盂蘭盆会といいます。
先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、子孫が、報恩や追善の供養をする期間を「お盆」と呼びます。特に、人が亡くなって49日法要が終わってから最初に迎えるお盆を初盆(はつぼん)または新盆(しんぼん、にいぼん、あらぼん)と呼び、家の門口や、お墓に白一色の提灯を立て、初盆以外のお墓には白と赤の色が入った提灯を立てるなど、特に厚く供養する風習があります。現在は、関東では7月13日から16日までの4日間を、関西では8月の13日から16日までの4日間を指すことが多いですね。
スピリチュアル的には、お盆には必ずお墓参りに行かなくてはいけないということはありませんが、一年に数回でも先祖を敬う気持ちというのを忘れないでほしいものです。
遠くてなかなかお墓参りができないという方は、心のなかで、「今年はお墓参りには伺えませんが、元気に頑張って生きています。どうぞ見守っていてください。」という気持ちをこめて心の中で手を合わせることをしてください。
心の念は、必ず通じるものです。
先祖を敬う気持ちに、かわりはありません。
今あなたが生きているのは御先祖様がこの世に存在していたからです。
感謝の気持ちを忘れずに生きて生きましょう。

      
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